本研究は、日本漢字音史から梵字音史を切り離して、独立した歴史的研究を構築するための基礎的研究を行おうとするものである。 本年度も、昨年度に引き続き、基礎作業として、高山寺、東寺、石山寺各寺所蔵の梵字資料を調査し、その写真撮影と移点本の作成、及び書誌情報を調査し、梵字資料データベース化を主査業とした。 本年度収集のこれらの資料と既収集の資料と突き合わせ、資料分析を平行して行っている。前年度で明らかになった、梵字資料に3類型-梵字のみの資料・梵漢併書資料・漢字音訳のみの資料-が存在するという点については収集資料増加の現時点に於いてさらにいっそうその実態が明らかになってきたが、その時期的分布が、平安朝初期から順次時代が下るにつれて梵字のみの資料が減少して行くという実態が明らかになってきた。 このことは、陀羅尼の音読・学習は平安初期には直接梵字による方法と漢訳による方法と平行して行われていたものが、平安後期以後は漢訳による方法のみへと移っていった事を物語る。そして重要な点は、漢訳によって行われる場合も、背景に梵語音による裏打ちがなされつつ行われたのであって、漢訳では掬い切れていない梵語音の音韻的特徴を梵語音韻学によって修正しつつ行われていたという事実が読み取れるという点である。 現在までの梵宇データベースを総合的に眺めると、日本側で梵語音の音韻的特徴を保持しつつ音読学習が行われていたのは平安後期初頭1000年頃までであり、具体的な人物としては、円仁(794〜864)、安然(841〜905)、淳祐(890〜954)、仁海(951〜?)等が上がりそうであり、これ以後の梵字学者は漢訳字を日本漢字音で音読した、和風梵字音で読まれるようになってしまったと考えられる。これらの研究成果については、平成16年9月の国際学術会議「日本学・敦煌学・漢文訓読の新展開」於北海道大学で、発表した。
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