友情は中国文学を特徴づける重要なテーマであるが、研究の過程でまず二つに分けて考えなければならないことがわかった。友情物語として伝承されてきたものと、実際の士人どうしにおける友情の探求である。前者は史書をはじめとする様々な書物のなかに語られているもので、後者は文人の詩文のなかから追跡することができる。 友情の物語として一般にもよく知られているのは管鮑の交わりであるが、『韓非子』などでは一種の契約関係を語るのみで、まだ友情はあらわれない。その史実をもとに『史記』は鮑叔がひたすら管仲をもり立てたかのような友情故事に作り上げていったのであり、『史記』から管鮑の話は広まっていった。范式の話も『後漢書』では散発的に記されるにすぎないのが長い過程を経て明の小説で一つにまとめられ、それが上田秋成の「菊花の契り」に結実している。すなわち友情故事は時代を経て創られていくものであり、そこにそれぞれの時代の人々の友情に対する思いが反映している。 一方、文人の間の実際の友情も、そうした友情故事に形象化されている友情のありかたを反映しながら、現実の人物間で抱かれるものであり、李白と杜甫、白居易と元〓、及び蘇軾・蘇轍の兄弟愛と溶け合った友情など、主要な具体例を検討した。文人がみな上流貴族であった時代には友情の例は少なく、一般の士大夫が文学を担うようになってから目立つのは、士大夫という理念を共有する集合においてこそ友情は求められたものだからであろう。それも李白・杜甫の場合にはまだ一方的であったのが、士大夫の精神が確立する中唐に至って白居易・元〓のように典型的な友情の文学が出現する。その最も美しい結実が蘇軾・蘇轍の兄弟の間にみられる「友情」であろう。 友情故事と実際の文人間の友情とがどのような関係にあるのかについては、今後なお探求を続ける必要がある。
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