本研究は、唐代におこなわれたさまざまな芸能娯楽(語り物、俗講、参軍戯、踏揺娘など)と年中行事や風俗習慣(打春、上元観灯、寒食、清明節、孟蘭盆会、駆儺など)が、どのように志怪伝奇小説に表現されたのか、またその小説の流行がどのように地域の芸能や習俗に影響をあたえたのか、その関係を解明することをおもな目的とした。中国の伝統的な民俗行事や宗教儀礼は、唐代にいたると、国際的な文化の東西交流や安定した王朝体制のもたらした経済的な繁栄などにより、しだいに世俗的な波の中で芸能化大衆化していった。とりわけ安史の乱以降の唐代後半に、その傾向が著しくみられる。こうした民衆の間に浸透した芸能娯楽の実態は、士人と呼ばれる知識階層の人々によって筆記小説に記述され、伝えられた。志怪伝奇小説には当時の幅広い民衆の意識や願望が、直接的や間接的に反映されており、公式的な歴史書には見逃されがちな、さまざまな真実を伝えている。本研究が唐代小説を資料とする所以である。 2年間にわたる本研究では、こうした複雑で循環的な芸能行事と小説との関係性を、具体的な作品を多角的総合的に分析することで、いちおうの解明の手がかりを得ることができた。唐代の代表的な小説「柳毅伝」については、中国できわめて重要な存在である龍をめぐる多彩な神話的な伝承を分析考察し、その演劇的な構造や古代神話の投影を指摘し、仏教的な乞食歌や語り物として伝承されていたことを推測した。また槐樹という特異な中国的シンボリズムを使った「南柯太守伝」では、古代から詩文にうたわれてきた軌跡を掘り起こし、文学と時代の関係を洞察し、異類の夜宴を主題とした「東陽夜怪録」では、荒唐無稽にみえる人物設定が強烈な諷刺を含んでいたことを指摘した。 本研究では、時間的な制約もあって、投龍儀礼、祈雨儀礼、観潮行事、社日習俗などの考察にしぼらざるをえなかったが、今回の研究成果を土台にさらに今後も検討をかさね、唐代の習俗全体に対象を広げていきたいと考えている。
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