中国古典文学の基核をなす精神は「言志」である。「言志」とはどのような精神を言うのか。最も狭い意味で言うなら社会へ向けた政治的発言ということになるだろうが、私はもう少し広い意味で、自己の胸の内を詠じた詩、つまり「詠懐」に近い用語であると考える。 「言志」の文学精神は、個々の文学者にあってどのように発揮されてきたか。本研究は、そのもっとも基底に位置づけられる三国魏末の阮籍・〓康ら、晋末宋初の陶淵明、宋斉梁の江淹、北周の〓信へ受け継がれていく様相をみきわめることを目指した。とくに個々の文学者の詠懐の詩を検討することによって、それを具体的に明らかにしていくことに主眼をおいた。個々の文学者の生涯を見つめつつ、その表現の営みの内的必然性を個々の作品のなかに浮かび上がらせることによってしか、その営みの姿と意味は見えてこないからである。 現実と文学との本質的かつ具体的関係の中から浮かび上がってくる表現の意味について、「言志」の精神を主軸にした表現史の構築が極めて有効であることが、本研究によってますます明らかになった。文学は人間の営みにあってどのような価値を有するのであろうか、という文学研究の究極の問いかけを見のがさずに研究を継続、展開、深化させていきたいと思う。
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