研究課題/領域番号 |
14510502
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研究機関 | 東北大学 |
研究代表者 |
石幡 直樹 東北大学, 大学院・国際文化研究科, 教授 (30125497)
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研究分担者 |
大友 義勝 東北大学, 大学院・国際文化研究科, 教授 (60007333)
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キーワード | ロマン主義 / イギリス・ロマン派 / 環境意識 / エコロジー / エコロリティシズム / 環境批評 |
研究概要 |
平成14年度は自然と環境を扱った文学・紀行・随筆・批評等関係図書を選定・購入して各自考察を加えつつ意見を交換した。また、両研究者とも、北九州市立大学、大阪大学、東京大学、琉球大学などで資料収集や、研究者との情報交換、意見交換などを行った。さらに、パーソナルコンピユータなどの各種機器を購入した。 石幡は本研究の考察の一部を、岩波講座「文学」第7巻『つくられた自然』所収の「女としての自然」に以下のようにまとめた。現代的な環境意識の源流をロマン派詩人に見いだすことはなかば定説となっているが、それとはうらはらに、彼らの自然観自然を利用し支配するといった人間中心的な側面も見られる。このようなとき、我々に興味深い示唆を与えてくれるのが、女性の描く自然であり、その視線の先に像を結ぶ女性としての自然である。人間/男性中心主義の措定する他者としての自然/女性は、「自然としての女」と「女としての自然」という絡み合った二つの具体的な姿を提示する。この「女としての自然」に言葉と主体性を与えることは、突出した男性としての自我を中心から追いやり、環境としての自然をそこに据えることになる。テクスト内の存在として自然に声を与えていると考えられる例をさまざまな文学作品に探ることが可能である。 大友は現段階で石幡との共同の考察によって、以下のような視点からワーズワスの自然との交流の中に環境意識の原初的側面を探る試みを続けた。ロマン派詩人にとっての自然と自意識の関係については、主体としての自我と他者としての自然という前提が存在する。詩人は自我の反映として自然に何かを語らせようとしたのであり、極端に言えば、自然の発する声を抹殺して、人間の声に置き換えたことになる。人間中心主義から環境中心主義への視点の移行を唱える環境批評は、このような従来、のワーズワス解釈への反論の一つとして有効性を持つのではないかという結論に至った。
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