平成15年度は自然と環境を扱った文学・紀行・随筆・批評等関係図書を選定・購入して各自考察を加えつつ意見を交換した。石幡は6月にボストン大学で開催された米国文学・環境学会に出席し、各国の研究者と意見を交換し資料収集も行った。学会後はメイン州のケネベック川にあるエドワード・ダム跡地を訪ね、同ダムの撤去に至った住民運動の展開についても資料を収集した。また、京都大学、大阪大学、立教大学、新潟大学においても資料収集や、研究者との情報交換、意見交換などを行った。さらに、パーソナルコンピュータ用のソフトや周辺機器を購入した。 石幡は本研究の考察の一部を、5月に開催された日本英文学会第75回大会シンポジウム第3部門「緑の思想の系譜-ロマン派の<自然>意識を問い直す」において「希求のための喪失-アイロニーとしてのエコポエティックス」と題して以下のような口頭発表した。自然が失われ続けなければ成り立たないという、ロマン主義の自然崇拝のアイロニーは、環境を汚さずには存在し得ない我々の矛盾と相通ずる。鋭い環境意識を示したラスキンは、風景のロマン派的観照を感傷的誤謬と批判し、自我の肥大化に警鐘を鳴らした。明治日本のラスキン受容は風景の発見に貢献したが、彼の近代的自我批判の理解までは至らなかった。また、キーツのオード「プシュケーに寄せて」に描かれた理想の詩人像を、周囲の森の木々との共生を願うエコロジカルな思想の萌芽と捉えた解釈を『ロマン派文学のすがたII』(仙台イギリス・ロマン派研究会編)所収の「プシュケーの羽と詩人の翼」に発表した。 さらに、『地誌から叙情へ』(明星大学出版会)所収の「想像の風景-ロマン主義の想像力論の系譜」において、ロマン派詩人の想像力が、眼前の自然風景から遊離して心象風景へと展開していく様子を追った。そして、エゴクリティシズム(環境文学批評)はこの想像力論の理解においても有効であることを論じた。
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