本研究の成果は以下のような形をとった。(1)「女としての自然」(岩波講座「文学」第7巻『つくられた自然』2003年1月):ロマン派詩人には現代的な環境意識の源流を見いだせるが、彼らの自然観には人間中心的な側面も見られる。このようなとき、女性としての自然というテーマは有益な示唆を与える。人間/男性中心主義の措定する他者としての自然/女性は、「自然としての女」と「女としての自然」という絡み合った二つの具体的な姿を提示する。この「女としての自然」に言葉と主体性を与えることは、突出した男性としての自我を中心から追いやり、環境としての自然をそこに据えることになる。テクスト内の存在として自然に声を与えていると考えられる例をさまざまな文学作品に探ることが可能である。(2)「希求のための喪失-アイロニーとしてのエコポエティックス」(日本英文学会第75回大会シンポジウム第3部門「緑の思想の系譜-ロマン派の<自然>意識を問い直す」2003年5月):自然が失われ続けなければ成り立たないという、ロマン主義の自然崇拝のアイロニーは、環境を汚さずには存在し得ない我々の矛盾と相通ずる。鋭い環境意識を示したラスキンは、風景のロマン派的観照を感傷的誤謬と批判し、自我の肥大化に警鐘を鳴らした。明治日本のラスキン受容は風景の発見に貢献したが、彼の近代的自我批判の理解までは至らなかった。(3)「プシュケーの羽と詩人の翼」(仙台イギリス・ロマン派研究会編『ロマン派文学のすがたII』2004年2月):キーツのオード「プシュケーに寄せて」に描かれた理想の詩人像を、周囲の森の木々との共生を願うエコロジカルな思想の萌芽と捉えた。「想像の風景-ロマン主義の想像力論の系譜」(『地誌から叙情へ』明星大学出版会2004年3月):ロマン派詩人の想像力が、眼前の自然風景から遊離して心象風景へと展開していく様子を追い、エコクリティシズム(環境文学批評)はこの想像力論の理解においても有効であることを論じた。
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