第一次世界大戦を境として生じた世界の変容の過程を、イングランドおよびアイルランドにおける藝術および大衆文化の様相という観点に立って、解明することを目的とした。その途上においては、以下の諸点が中心となった。(1)近代戦による大量死という現実をまえにして生起してきた個人の生と死の問題の再検討。(2)個人の生にたいする関心から派生する(「内的独白」、「意識の流れ」などの)モダニズム文学の方法。(3)個人の死にたいする関心と、人間の死そのものの無意味化という二律背反的な側面を有する探偵小説ジャンルの確立。(4)1920年代における大衆文化全般の価値体系のありかたと、その後に続く展開。以上のような問題設定にもとづく考察の結果、いくつかの論点が明らかとなった。(1)に関連していえば、人間の生死にかんする20世紀の特徴的な思惟の様態は、現象学などの哲学的展開などばかりでなく、大衆文化のさまざまな相に反映しているものと見なさなければならない。(2)、(3)については、じゅうらいモダニズム文学と探偵小説という、年代的にかさなる文化現象は同一平面で論じられることがなかったが、本研究によって、両者が表裏一体をなすものであることが強調されるにいたった。イングランドで大学教育を受け、伝統的文学、ならびにジェイムズ・ジョイスに代表される同時代の言語藝術から影響を受けたヴラジーミル・ナボコフの代表作は、個人の生と死を中核に据えた20世紀文学の展開の極点を示すものであるということができる。(4)についていえば、大量生産、大量消費を基本とした情報社会において、真実と虚構の区分が暖昧化し、往々にして個人の尊厳までも見失われかねなくなる状況を、とりあえず指摘しておくことができるだろう。このような状況に対応し、あるいは対抗する革新的な物語の技法が編み出されたことも1920年代の重要な特色として挙げなければならない。
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