前年度に引き続き、第一次世界大戦を契機として生じた価値観ならびに思想の変容の典型的な現出形態を、1920年代以降のイングランドおよびアイルランドにおける藝術および大衆文化の様相のうちに認めるとともに、この前提にもとづきつつ、ヨーロッパ全体を視野に入れた社会思想的文脈において考察を発展させる可能性を模索することとした。この研究過程でとくに重点がおかれたのは、以下の諸点である。(1)第一次世界大戦後の商品文化(大量生産・大量消費文化)にたいする両価的感情として形成された思想上、藝術上の諸運動。(2)同時代における思潮としてもっと重要なものと見なされてきたモダニズムの方法は、必ずしも戦争その他による断絶の結果として位置づけられるべきものではないのではないかという問題提起。(3)モダニズム藝術を十九世紀以来の美学志向の理論的帰結としてとらえると同時に、同時代の大衆文化の(映画や探偵小説)と近接性という相においてもとらえる必要性。(4)上述のような状況下で生じてきた方法論的革新の意味。以上のような問題をとりあえず設定したうえで、考察をかさね、つぎの諸点を明らかにすることができた。(1)については、模倣と反復、既存の材料の流用などをこの時代の特徴と考えることができる。(2)については、モダニズムという用語そのものを見なおし、この語をあえて積極的に用いようとしなかったエドマンド・ウィルソンの仕事などを再評価してみる必要がある。(3)については、十九世紀的美学と1920年代の抽象藝術の融合のうえになるヴラジーミル・ナボコフの作品を典型的な例として分析した。(4)については、各藝術ジャンル間の相違を超え、またいわゆる高級文化と大衆文化の垣根も取り払って考究するべきである。このような視点に立ったうえで、たとえばナボコフのテクストは、20世紀以降の文化・藝術の複合性と異種混淆性を遺憾なく実体化したものであるとする結論を導き出すことができる。
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