文学作品の解釈において作者の死が主張されて久しい。作品解釈は読者の自律的読みに任され、しかもニュー・ヒストリシズム、すなわち作者の生きた時代の歴史と思想の中で作品を解釈する方法が、目下の主流を占めている。この方法は確かに読みの新しい局面を浮上させた。しかし独自の創作理論を明示し、普遍的な問題に関わるメッセージを伝えようとする作家に対しては、提示されるpoint of viewを慎重に考慮せねばなるまい。 Nathaniel Hawthorneは、自分の作品を「言葉による絵画」と主張して<小説>から区別し、<ロマンス>と銘打つ。だが近年のホーソーン批評は、彼のくロマンス>を<小説>と区別せず、また<美>の感性で読むことを忘れ、専ら19世紀の政治・歴史に作品を置いたイデオロギー批評や精神分析批評へと傾斜する。そこで当該研究では一貫してホーソーン自身の創作理論の原点に立ち戻り、『緋文字』を中心に読み直してきた。中世・ルネサンスの長い伝統の中に<ロマンス>をおき、17世紀のアメリカを舞台とする作品に描かれる「墓石」「紋章」「肖像画」「パジェントリー」「宮廷仮面劇」「真珠」、さらに「タペストリー」等の文化表象の意味を、イギリス及びヨーロッパのルネサンス精神史の中で考察した。特筆すべきは、ヘスターの娘の"Pearl"という名前に"Union"の意味を発見したことである。ホーソーンは神話に適した<ロマンス>形式を用い、パールを通して、神聖ローマ帝国のハプスブルクが古代ローマから継承した理念、<多からなる一>という"Union"の理想を、"The United States"に繋ごうとしていたのである。当該研究の最終年2004年は、奇しくもホーソーン生誕二百年に当たる。この記念すべき年に当研究の総仕上げとして、また今後の発展への足がかりとして、『ホーソーン・《緋文字》・タペストリー』を上梓できた。
|