啓蒙前期における反宗教的地下文書の生成において、ナントの勅令廃止などの強権的宗教弾圧から生じた「良心の危機」を修復すべく、「神の存在」への懐疑さえ含む根底的な問いを内心では繰り返しながら、中小のインテリが特異なさまざまの地下文書を残す過程が少しずつ明らかになった。今年度は1719年にオランダで刊行された『スピノザの精神』(後の代表的地下文書『三人の詐欺師論』)の典拠調査を行った。その結果、この刊行本のもとになった原稿は、以前考えられていたよりもはるかに一種の読書ノートに近く、主としてスピノザ『エチカ』『神学政治論』『書簡集』、ホッブズ『リヴァイアサン』全体、ヴァニーニ『自然の驚くべき秘密について』からの抜粋であることが分かった。この刊行本の原稿が、推定されているように、スペイン継承戦争期にホーエンドルフ男爵がパリ、イギリス、オランダで収集した地下文書の一つであったとすれば、上述の典拠選択は納得がゆくものである。これらは確かにこの時代のイギリス、オランダにおける反体制的思潮から注目を受けた代表的著作である。さらに、1719年の刊行本には、ナントの勅令廃止によりオランダに亡命した編者ルヴィエらが、もとの原稿に明らかに付加したと思われる部分がある。そこには18世紀初めのオランダ・カルヴァン派教会内における、神学的・政治的論争を想起させる表現が見られる。『スピノザの精神』末尾はホッブズを用いた悪魔否定論となっているが、その章を提示する文言はその一例である。1690年代、オランダ・カルヴァン派教会牧師バルターザル・ベッケルは魔女否定論を提出したが、そこから彼の合理主義的神学に関する激しい教会内論争が続いた。上述の部分はこれへの間接的な言及と思われる。
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