本研究は、フランス16〜19世紀における名詞としてのpublicという単語の使用法と意味論的な射程の変容を跡づけることを通して、今日の消費の大衆としてのパブリックに対する批判意識の萌芽的な形態がすでに18世紀後半には存在することを示した。消費の主体としてのパブリックの18世紀における根源的な批判者とは、ジャン=ジャック・ルソーにほかならない。 Publicという名詞は、本来、国家=republiqueの意味で用いられていた。しかし、17〜18世紀にいたって、市民社会の成長とともにpublicの意味が私的・市民的なものに変容した。すなわち、国家の意味に代わって、観客、公衆の意味が優勢になったのである。この傾向をもっとも典型的に体現しているのは、ヴォルテールであった。ヴォルテールは、演劇をpublic=観客を啓発する場としてとらえると同時に、成熟したpublic=公衆、すなわち議論し批判的理性を行使する公衆を、至高の権力の主体と見なした。ルソーはこのような公衆観に対して根源的な批判を提出しているのである。 本研究は、ルソーのこの批判-近代批判-の構えを、ふたつの自伝的作品-『告白』、『対話、ルソー、ジャン=ジャックを裁く』の解読を通して明らかにした。なお、『対話』の分析にあたっては、このテクストの電子化を実現したことを付言しておきたい。
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