ケベックでは1930年代から新たな社会におけるアイデンティティの模索が始まっていた。「心理小説」は自己実現しきれない内的葛藤を描きだした。ただし、受容という観点から見れば、そうした作品は一部の知識人にしか読まれなかった。1960年代「静かな革命」期にケベック文学はフランスでも受容が進んでいく。そうした現象はケベック人に誇りを与え、ナショナル・アイデンティティを高揚させた。言語面でも、「訛ったフランス語」として蔑まれていたケベック方言が、自分達の言葉として、肯定的な役割が見出されていく。フランス本国の言葉が唯一正統であり、その他を変種とするのではなく、様々なフランス語の存在を認めようとする意識は、「クレオール文学」においても見られる。 しかし、70年代に入るとすぐに、様々な出自の人々が集まるケベックでは、「国民文学的」枠組みがあてはまらないことが露呈してくる。『フォルクス・ワーゲン・ブルース』(1984)は転換期の象徴的な作品であろう。「国民意職」が均一な共感を必要とするのに対して、現代ケベックの作家たちの多くは、言語や地域をアイデンティティの拠り所にするのではなく、多様性の中で漂うことをむしろ運命として引き受け、歓迎し始めているように思える。1980年代から頻繁に用いられるようになった「フランコフォン」という表現も、「純粋性」よりも「混血性」、「単一性」よりも「多様性」を含意しているのではなかろうか。
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