1.女性史関係……今年度は16世紀ニュルンベルクの聖クラーラ女子修道院長カーリタス・ピルクハイマーからカルシュの直前の時代のアンナ・ジビュレ・メーリアンまで、数名の女性に的をしぼって近世女性史を講義に採り上げることにより、カルシュと「教育」という視点を得、カルシュの立つ位置の特殊性が、一つには女子教育の滲透の問題と不可分であることを明らかにした。 2.七年戦争……カルシュが自立した女流詩人として一家をなしえた理由の一つに、七年戦争およびフリードリヒ大王とカルシュとの関係があった。皮肉なことに、カルシュは七年戦争に遭遇し、艱難辛苦に遭遇しながら、他方でフリードリヒの戦勝をうたい、フリードリヒによるシュレージェン占領にともなう法改正によって離婚をかちえた。とくに七年戦争と文学という視点は、広く戦争と文学、人間との関係からみてもひじょうに有意義であり、しかもナチス時代の研究に比して、この分野の研究は大きく立ち後れている。今後この問題を追求するため、今年度、ドイツ文学と戦争(とくに三十年戦争と七年戦争)の関係を研究課題として科学研究費補助金を申請したい。 3.「自然」……カルシュがもてはやされた背景には18世紀ドイツにおける「自然」讃美の思想傾向があると考えられる。カルシュは「無教育」なまま、いわば「自然」に育った「自然児」であり、無垢の「自然」に育てられた「自然詩人」だというのである。しかし、今年度の研究をつうじて、カルシュの場合、これは一種の虚構であり、周辺の文壇はその虚構を利用したのではないか、いやそれどころか、カルシュ自身がむしろその虚構を自分のために利用したのではないかと考えるにいたった。これはまだ仮説の段階であるが、今後その論証に努めたい。
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