1)ラズモフスキー・ガッセ20番地のムージルの旧居について。(中央大学ドイツ学会『ドイツ文化』第59号に"Musils Wohnung in der Rasumofskygasse"p.73-107(独文)を発表。)現地調査により、まずウィーン市立博物館にて、ラズモフスキ・ガッセのムージルの住居および周辺のザルム宮殿、ラズモフスキ宮殿についての資料提供をうける。ムージル旧居のある同じ建物の3階にある、グラーツ作家協会の内部を調査し、ムージル居住当時は玄関の間、トイレなどがなかったことを確認。さらに、ムージル旧居に現在住んでいるElfriede Ruthner夫人とコンタクトをとることができ、ムージルの旧居の実際の間取りをcm単位で入手。2003年9月に刊行された権威ある伝記、K.コリーノの"Robert Musil. Eine Biographie"に記載されている間取りと寸法の誤りを正した。また、1938年にムージルが亡命したのちの住居の状況もRuthner夫人の母親から、夫人を介して入手。ロシア兵が入居して荒廃していたこと、となりのSalm宮殿で、ナチス関係者がソ連の赤軍に射殺されたことなど、貴重な情報をえた。(Ruthmer夫人の母親は2004年1月に病気のため逝去。貴重な証言が、ぎりぎりのタイミングで残されたことになる。)さらに、ムージルの家財が保管され、空爆をうけたとされる倉庫のあったDresdnerstrasse26番地を訪問、戦後の状況を、現在のAltmetall Kranner社の社長および従業員から聞きだした。上記論文は、コリーノ、ロート(国際ローベルト・ムージル学会名誉会長)、アスペツベルガー(クラーゲンフルト大学独文科主任教授)ほか多数のムージル研究家から賞賛の手紙およびメールを得たものである。 2)ブルノにおいては、Jiraskova通29番地の、『特性のない男』第二部の舞台と思われる旧居(現在ブルノ市営の幼稚園)を訪問し、写真およびVTR撮影をすることができた。引き続き調査を続行する予定。 3)ボルツァーノでは、ムージルの旧居、Di Angeli家に立ち入って、写真、VTRを撮影することができた。 4)ジュネーヴでも、国際ローベルト・ムージル学会理事ベッシェンシュタイン教授の紹介で、イムホーフ先生(ギムナージウム校長)の案内をえて、ムージルの旧居2軒と、終焉の地を訪れることができた。さらに調査を続行している。 5)この間の中部ヨーロッパにかんする研究の一環として、大川勇著「可能性感覚」の書評(ドイツ語)を学会誌(『ドイツ文学』)に寄稿した。
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