研究期間中はウェールズ国立図書館において、19世紀に発行されたウェールズ観光や民族イメージに関わる書籍・図版・地図、アイステッズヴォッドで発表された詩歌・スピーチ、ウェールズを取り上げたイングランド・メディアの記事を収集し分析した。また18〜19世紀の代表的観光地に野外調査に赴き、当時の典型的なウェールズ旅行ルートを復元するため映像記録を作成した。 調査の結果、明らかになったのは次の点である。18世紀にイングランドで起こった、ブリテンのルーツを「古代ブリテン人」に求め、その文化的継承者としてウェールズ伝統文化を復興するという運動が、イングランド文人・ウェールズ系ロンドン住民・ウェールズ国内の上流階級を主体に起こり、その結果、ウェールズの山岳風景が「ブリテンの原風景」のアイコンとして着目され旅行ブームに発展、また、中世ウェールズのバルドの競技会を復興する目的でアイステッズヴォッドが開催されるに至る。ここでのウェールズの民族的イメージは、バルド、ドルイドや荒涼たる自然から構築された、ブリテンの「古代」・「神秘性」を根幹とする。けれども19世紀になると、鉄道などの交通インフラの整備により、かつての秘境ウェールズは誰でもアクセス可能な大衆観光地と化す。一方、産業化の進行するイングランドは、ブリテンの国家的ルーツとして前産業社会の農村共同体をノスタルジアとともに希求するようになり、身近になったウェールズは、純朴な田舎の民の住む牧歌的世界として観光客を誘致する。19世紀半ばに、イングランド視察官がウェールズの教育事情についてまとめた報告書『ブルー・ブックス』は、ウェールズ語使用がウェールズの近代化を遅らせ、モラルや文化レベルの低い住民を生んだと告発した。これを契機に、ウェールズ人は、田舎の農民でありながら、バルドの詩歌を作る程の教養にあふれモラルも高い「リスペクタブルな民衆」像を構築し、それをアイステッズヴォッドにおいて、詩歌や労働者階級による男声コーラスの形で公開し、イングランドと同等のブリテン臣民としての民族イメージを宣伝していくのである。
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