研究概要 |
岩井は『スヴャトスラフ文集』1073年(以下I)に引用された旧約・新約両聖書の文章が地の文章にあって,どれほど東スラヴ語化されているかを探り,元来ギリシア語から古代教会スラヴ語に翻訳された聖句がルーシの地にもたらされた時,どのように変容していったかの一端に光を当てる試みを行なった。Iに延べ48の聖句の引用例を見い出した。これを検討すると,1)引用の仕方がラフである,2)他とは異なる語彙を使用する場合が多い,という特長を確認した。2)は重要で,他のカノンと比較する時には孤立的だが,1117年以前成立の『ムスチスラク福音書』(M)と比較すると決して孤立しているわけではなく,ルーシの地に伝えられた別系統の聖書テクストの存在を暗示せしめると解される。さらにこれらの引用文は,音・綴り・形態論・シンタクスの分野で東スラヴ語化が進行していることが観察される。その程度は『アルハンゲリスク福音書』1092年(Arch)およびMに比してまだ低いが,ただしIもArchやMと同方向に東スラヴ語化が進行している。服部はIとArch両文献中の動詞組織にかかわる総合研究の基礎作業として,時制とアスペクト体系を検討した。特に今日問題とされる仮説,即ち12世紀の東スラヴ語の口語には未完了過去もアオリストも存在しなかったとする見解に対し,Archの他のカノンに対立する異読箇所を検討することによって,これら異読がХабургаевらの仮説を支持する有力な証拠たりうると見倣すことができる。今年度は他に,Arch本文の校訂注の整備とパソコンへの入力,さらにArch索引の訂正を行なった。あわせて語彙《И》を接続詞か3人称代名詞対格かを弁別する作業を継続している。
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