本成果報告書は日本画へ西洋の影響の中で、特に西洋の文学・芸術が日本画家たちに、芸術家としての意識を形成する上でどのような役割を果たしたかについて画家の残した言葉を手掛りに考える試みである。竹内栖鳳、富田渓仙、村上華岳、土田麦僊、入江波光など大正期頃の京都画壇の画家たちを主に取り扱う。西洋絵画の移入とともに日本画家のなかにも、それを意識する傾向が強くなる。とりわけ京都画壇では伝統的職人意識も強かっただけに、西洋との接触によって新しい芸術に関する不安もまた強く現れることになる。こうした中で、上記のように西洋に対して真摯に対峙する画家もまた多く現れた。先駆者といえるのは竹内栖鳳であろう。1900年パリ万博の際には渡欧し、ヨーロッパの美術事情を視察しているが、西洋絵画を写実一辺倒と捉えることへの疑問など、よく絵画について考え、日本画創作の独自性、画家が描く行為などについて非常に意識的に捉え直そうとしている。しかし続く世代は、明治43年創刊の『白樺』などに刺激を受け、個性や自我というものにより強く捉われた世代であった。華岳や麦僊などの国画創作協会の画家たちや日本美術院系の富田渓仙は、『白樺』等を通して西洋の美術作品、芸術思想に大いに関心を持ったが、同時に芸術家としての自己のあり方を厳しく模索した画家でもある。作品からの影響とともに様々な思想的な影響もあり、彼らは非常に不安定な自我の意識に捉われることにもなる。しかし、彼らはゴッホ、ロダンなど、自我の高揚を求める『白樺』的言説に駆り立てられるとともに、次第にそれとは異なる、救済者のイメージも西洋に求めていったように思われる。それがフラ・アンジェリコを典型とするイタリア絵画であった。
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