日本における西洋古典の受容は、16世紀のキリスト教伝来とともに始まると考えられるが、古代ギリシア・ローマ演劇の受容に関して、本年度、資料収集、調査を開始し、以下のことが明らかになった。 すなわち、明治時代、西洋文化一般の受容とともに、西洋古典の受容も始まり、ギリシア・ローマ演劇の舞台上演に関しては、ちょうどシェイクスピアの作品が最初は翻案という形で明治時代に受容され舞台化されたのと同様に、ギリシア悲劇の『オイディプス王』が川上音二郎によって『意外』という題で上演されたのがはじめてである。しかし、本格的な舞台上演は明治時代、大正時代、昭和前期と全くなく、ようやく1950年代に入って、アリストパネス『女の平和』が俳優座によって上演されたのが嚆矢である。この舞台台本は、古典学者高津春繁によって翻訳されたものがもとになっている。 1960年代に入って、西洋古典学会の活動も活発になり、古典学者の数も少しずつ増加し、ギリシア語・ラテン語から翻訳されたギリシア悲劇・喜劇、ローマ悲劇・喜劇が出版されたのに応じて、古代ギリシア・ローマ演劇も日本において知られるようになったが、1970年代以降、蜷川幸雄という演出家の舞台上演が突出して多く、しかもエウリピデスの『王女メディア』にほぼ限られるということが、本年度の資料収集、調査等で大凡判明したところである。今後、さらに精査し、データをより完全なものにする一方で、ギリシア・ローマ演劇の翻訳の歴史も考察しつつ、時代との関わりの中で、舞台上演史を完成させる予定である。
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