景観法の制定にも現れているように、これまでのわが国の土地利用法制は、まちの姿をそこに住む住民が主体的に構想し、デザインし、実現するということを実際上不可能なものとしてきた。 アメリカとの比較を中心とする本研究において明らかになったことは、日本においては国の法に対応する州法と条例の関係が、日本のそれとは大きく異なっている点である。法体系上は、州法が土地利用規制に関係する権限を地方に授権し、各自治体がこれを受けてそれぞれのまちづくりに取り組むという形になっており、日本法のそれと形の上では大きな違いはない。しかし、日本法との大きな違いは、その中身である。日本法は、メニュー方式を採用しており、土地利用規制の地域規制の中身と種類を国法で決め、自治体にはこのメニューの中から選んでその領域内の色塗りをすることの自由のみを認めてきたに過ぎない。この違いは実際上極めて大きなものであった。アメリカの自治体は、どのような絵を描くかにつき、大きな自由度を認められてきた。このため、様々なことを自治体自身が決定しなければならなかった。全体的構想のレベルから、即地的規制のレベルまで、実質的に決定することを求められてきたのである。 この決定過程への、市民・住民の参加のあり方にも大きな違いがみられる。日本でのそれは、ようやく近年、各地でのさまざまなまちづくり運動として展開されるようになり、1968年に導入された民主主義的手続が形骸的なものにすぎなかったことが明らかになってきた。こうした流れの中、わが国の今後の課題は、現在興隆しつつある市民参加へのエネルギーを、いかに制度に活かし、その建設的効果的活用を図ると共に、「市民参加型」まちづくりを、一時的な流れではなく、土地利用法制と十分にリンクさせることで、地に足のついた生産的で意義のある制度として構築していけるかにある。このためには、都市計画法をはじめとして、土地利用法制の抜本的な見直しが必要である。
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