プーフェンドルフの義務の体系の構築に資した可能性のある文献を収集して、その知的前提を解明するための見通しをえるためにそれらの文献を収集・検討した。また、ミュンヘン大学の法史研究所に40日間滞在してそれらの文献の調査を実施した。今年度は、ドイツ語の著書の校正をミュンヘン滞在中に終わらせるという仕事も兼ねており、滞在期間の半分を校正にとられたため、文献の調査が主目的となった。 本研究は、自然法の学問としての独立化と、その枠内でローマ法の訴権のシステムから独立した私法の一般理論化の過程を解明するという二つの柱からなり、今年度は、前者の問題を検討した。自然法が学問として独立するということは、神学と実定法学からの独立を意味するのみならず、伝統的なアリストテレスの実践哲学からの独立をも意味した。大学という制度知の中で、しかも哲学部のなかで自然法が独立しえたことは、新しい自然法が学問としてその存在理由を示しえたということを意味する。この問題を主として検討した。 同時並行的に進めた検討は、義務の体系として構想された自然法の由来を解明することであった。そのために、ストア学派の思想、キケロ、キリスト教神学関係の文献を検討した。この検討の過程で、プーフェンドルフの新しい自然法論の構築術が、方法的にはデカルトを初めとする新しい自然科学と哲学の成果を基礎としているとはいえ、内容的には後期スコラ学派の成果に大いに依拠していることも、了解できた。たとえば、モリナのプーフェンドルフへの影響は、単に私法理論の骨格においてのみならず、自由意思論などに顕著にみられる。このことは、プロテスタント神学とカトリック神学の相違を単に一般的に捉えて、それをプーフェンドルフの理解にあてはめることでは、プーフェンドルフの体系の構築術を解明しえないことを示している。この問題は、プーフェンドルフの自然宗教がなぜルター正統派から攻撃を受けたのかという問題を検討する際に再度検討してみる予定である。
|