平成15年3月、同9月の2度にわたって、各10日間(往復を含む)程度の現地での調査研究を許された結果、ダブリン大学トリニティ・カレッジ、同ユニバシティ・カレッジ、国立公文書館に調査入館を許されて、「デ・バレラ文書」を中心とする1922年憲法、とりわけ1937年憲法制定の過程とその後の経過にかかわる一次資料を閲覧し得て、37年憲法の歴史的位置付けについて新たな知見を得ることができた。 その知見は同じく第一次資料に依拠して、1980年代後半以降始められているアメリカ、イギリス、アイルランドにまたがる若手・中堅の研究者群の国際的な新たな研究とも重なり合って、旧来のアイルランド憲法観(その典型は、民族主義的、カトリック的といった特徴づけ)、翻って、アイルランド史観そのものへの修正を迫りうる、新たな視点と仮説を構想しうるものとなった。 その新たな視点に基づく研究は今後、随時、発表される予定であるので、今はその若干について示唆するにとどめる。例えば、従来は「断絶」面のみが強調されがちだつたイギリス憲法原則の「継承」という視点、アイルランドを「非抑圧・植民地」と見て、37年憲法を早熟な「第二次大戦後の植民地解放憲法」と見る立場への疑義(逆に言えば、アイルランドは「大英帝国」の一部として、19世紀から20世紀にかけて、英米機軸の世界戦略の一翼を担ったという側面も評価する)、これらはいずれもアイルランド憲法とその機能(運用)の再評価に結びつく、大きな仮説であるといえよう。
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