本年度は、ドイツ民法学における人格権保護関係の文献の収集と検討を中心に行った。その際には、ドイツ法で用いられている意味での狭い人格権だけではなく、日本法でのそれに対応する領域をカバーできるように心掛けた。マスメディアによる人格権侵害に対する救済についてのドイツでの議論はやまを越えたいう印象を受けている。そこでは、マスメディアによる他者の人格の商業的利用が問題となっているが、ドイツの損害賠償法の枠組みの堅さが問題への対応のネックとなっていた。財産法領域へのシフトの傾向が強いようであるが、これは我が国裁判所の傾向とは異なる方向である。引き続き、この比較からの我が国での損害賠償法の役割を検討していく必要がある。人格権侵害と損害という問題は損害概念の検討を求めるものとしてあり、フランスのペリシュ判決が投げかけた問題の一つもここにある。この点については、次年度に論文をまとめる予定である。 人格権保護の問題を考えるには、自己決定権の位置付けを避けて通れない。本年度は、これに関係することがらとして、末期ガンの家族等への告知の義務の有無を扱った最高裁平成14年9月24日判決の判例評釈を執筆した(掲載誌の発行は次年度以降)。そこでは、この判決を、エホヴァの証人の最高裁判決で確認された意思(自己)決定権保護ルールの対極に位置して、意思決定が困難な状況な場合のために必要となる補助的ルール形成の積み重ねの一つとなるものと意義づけた。自己決定権保護の体系的位置付けの明確化が、例えば、人体部分の商品化の可能性と人格権保護の緊張の問題への対処につながっていくのだと考えている。この問題についても、引き続きドイツ民法学の文献の収集を行っている。本年度は、それ以外にセクハラ裁判例をやはり人格権保護の進展という角度から整理した原稿を執筆したが、掲載誌の発行は次年度以降になる。
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