1、2002年は、9月の日朝首脳会談と10月の北朝鮮の核開発是認発言という現実の展開などにより東北アジアの不均衡な三角同盟関係-日米同盟と米韓同盟-の意義が問われた一年であった。「駐屯軍地位協定の国際関係」からいえば、アメリカの基地を抱える「基地国家」日本として、日朝首脳会談は「基地国家」の背景となっていた朝鮮戦争体制を転換させる一つのステップになる可能性のあるものであった。一方、核開発問題をめぐって米朝関係が緊張するなか、日米同盟において日本には「普通国家」としての役割が与えられているという考えが大きくなりつつある。結局、日朝国交正常化交渉は、戦後東北アジアにおいて展開してきた「地位協定の国際システム」の動揺を伴なうものになる可能性が大きい。 2、米国同時多発テロ以後、日本において対テロ特別措置法の成立は、「基地国家」日本の大きな転換点であったといえる。それは世界帝国の誕生と世界内戦の展開という新しい地球秩序の中で「基地国家」としての限界を抱えたままでは、世界経営に参画することが不可能であるとの認識の下で行われたものと理解できる。しかし「基地国家」の前提となっていたのは東北アジアにおいて戦後展開されきた朝鮮戦争体制であり、これを解体することなしには「基地国家」からの脱却は不可能か歪曲された過程になるだろう。またその過程は、日米同盟を強化拡大させる過程になる可能性が大きい。 3、報告発表はまだであるが、2度にわたる韓国での資料調査の結果、1966年に締結された韓米駐屯軍地位協定に関する韓国外交通商部公開外交文書を(A4用紙で約2000枚)収集することができた。これらは同協定の締結にいたる政治過程を解明するために決定的に重要な資料である。分析の結果は2003年6月の日本平和学会で報告する予定である。
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