本研究は、20世紀初頭の日露戦争に対して非戦論を唱え、後半生の沈黙のなかでも非戦論の思想を練り直した木下尚江について、その平和思想を全体的かつ全生涯的に考察しようとしてきた。著書『野生の信徒 木下尚江』で、木下の思想の構造と変化についてかなり解明したが、とくに平和思想に関する資料を収集整理する必要を痛感した。 木下の平和思想に関する主な資料としては、書簡と草稿があった。木下の書簡については、年来収集してきた書簡に加えて新たな書簡を発掘し、合計990通を収集した。草稿については、1955年に早稲田大学大学院文学研究科が私立大学研究基礎設備助成補助金を用いて購入して以来長く公開されないでいた木下家資料の主なもの32篇のプリントをついに提供された。また、1890年代の松本の新聞『信陽日報』『信濃日報』を発見し、『牟婁新報』復刻版などを利用することによって、未知の木下の著述をいくつも収集した。それらを編集して、『木下尚江全集』第19巻を刊行した。この全集に収録しきれなかったものは、研究成果報告書に収めた。 そのような資料収集を通じて明らかになった木下の平和思想の特徴については、上記全集の「解説」で論じるとともに、短文「木下尚江の野生の信仰」「絶対非戦論者の非暴力不服従の思想」などで描いた。日露戦争中のそれは、トルストイの無抵抗主義に近い絶対非戦論だった。その思想が、本来は絶対非戦論者ではなかった幸徳秋水や堺利彦にも一時は絶対非戦論を唱えさせたし、開戦後は祈りに傾いた内村鑑三とは異なって戦争と愛国心に対する批判を持続させた。日露戦争後の木下は、社会主義は棄てたが非戦論は棄てず、ガンディーが試みたように非暴力不服従の思想を練り直した。暴力の連鎖を生む憎悪や復讐心と戦おうとするその思想は、1930年代の危機に至るまで保たれた。
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