1.第一に、ナント勅令の体制、およびルイ14世によるその廃棄が持つ歴史的意義を検討した。1領域国家内部に複数の宗教が存在することを公的に承認したこの体制は、ヨーロッパ史において特殊なものであり、廃止はむしろ本来の国家のあり方への回帰と受け止められた。しかし、カトリック国家の完成は直ちにカトリック内部での対立を生み出すことになる。 2.第2に、昨年度に引き続き、18世紀に展開する様々な宗教的思潮の整理を進めた。理神論、無神論のほか、18世紀前半から急速に拡大するフリーメーソンに関しても、研究書をはじめとする資料の蒐集を行なった。17世紀から続くジェズイットとジャンセニストとの対立はポール・ロワイヤル修道院の閉鎖によって一応の決着を見るが、後者はガリカニスムの主張と結びつくことになる。ガリカニスムはこの時期、ローマ教会とフランス教会との関係の問題から、国王と高等法院との関係を軸とする政治社会問題へと発展する。問題は錯綜しており、個別の思想にまで十分に立ち入ることはできなかったが、一定程度の論点整理は行なうことができた。 3.第3に、フランス革命期における宗教政策について検討を加えた。フランス革命における反教会主義、非キリスト教化に関しては当時から論争がある。今回は主として「聖職者民事基本法」(1790年7月)を考察対象としたが、ナポレオンによる宗教協約(1801年)、ナポレオン法典(1804年)の分析は未了であり、近代国家と宗教の関係を考えるにはなお不十分である。 4.以上の検討によって得た知見の概要は以下のとおりである。 (1)宗教を論議すること自体が公共的な言説空間の成立を促すとともに、宗教を個々人の私的な問題へと転換させることになった。 (2)教会が管理していた人間の生に関する諸事項(誕生、婚姻、死亡等)がフランス革命によって国家の職務となったことは、単なる世俗化ではなく近代国家権力を聖化する機能を果たした。
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