研究概要 |
本研究の目的は、近代フランス政治思想において、宗教と言う要因がどのようにとらえられ、政治秩序形成の課題とどのように関連付けられていったかを明らかにすることにある。本論文では、その前提となるナントの勅令以後のアンシァン・レジームにおける国家と宗教の問題を、総合的な視点からまとめた。主たる論点は以下の3点である。 第1に、宮廷、サロン、カフェなどにおいて、宗教に関する議論がおこなわれることそれ自体の意味が重要であると考えられる。宗教の問題も様々な論点の一つとなり、それまで宗教が担ってきた公的な世界像について一般的に議論することが可能になる。こうして、宗教は市民社会の構成要素とみなされるようになる。この点は、いわゆる「公共性」の質的な転換をもたらす重要な要因であろう。 第2に、フランス革命の過程において、世俗の権力による行政的な空間分割が宗教組織の構成を決めたことの意義である。教区が行政区分によって定められるということは、普遍的な価値の担い手としての教会が、世俗秩序の中に組み込まれることを意味する。「聖職者民事基本法」は、cujus regio, eius religio以来の世俗化過程のひとつの帰結とみなしうる。 第3に、それまで教会組織が担っていた人間の日常生活に関わる事柄が国家に移譲されるという点である。十分の一税の廃止後、貧者救済、慈善、医療などの活動が、教会、修道院から国家の手にうつり、同時に、出生、結婚、死亡など、個々の人間の具体的な生活(生)を管理するシステムを国家が掌握する(フーコーの生-政治の問題)。国家が秘蹟を引き継ぎ、一種の聖性を帯びることになったのである。
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