本研究の最終年度である2003年度では、「制度経済学とは何か」、また「制度とは何か」という、より根本的な問題な問いに発する作業を行うことに焦点を絞り込むことにした。2つの作業を行った、第1は、制度の「発見」あるいは「再発見」を通して制度主義の新たな復活を遂げた今日の時点において、制度経済学とは何か、またその理論的なハードコアは何かを問うという作業を試みた。第2は、制度そのものの定義を問うという作業である。現状では、制度経済学の多様な潮流の共存が示唆するように、制度そのものの定義においても多様な見解や発想が存在する。とはいえ、制度とは何かを考える上で共通に了解されるものは何かを確認し、もし見解の相違があるとすれば、それは何に由来するのか、またそれらを統合しうるような視点に立っことができるとすれば、どのようなアプローチが可能かを考察することにした。 まず第1の作業では、制度経済学をめぐる5つの命題を取り上げ、これら5つの命題のそれぞれについて、それらが、果たして制度経済学を他の経済学説から分かつ有効にして必要十分な基準になりうるのかを検討した。考察の結果から明らかにしたのは、制度経済学を定義する決定的基準は、個人は制度的世界(あるいは社会)を構成するとともに、制度的世界(あるいは社会)によって再構成されるという「制度化された個人」の視点にあるということである。そして、この個人と制度の循環的な相互構成的な関係への注目は、習慣とそれに基づく習慣的行動を軸として構成された個人と制度との間のポジティブ・フィードバックとしての累積的因果連関という、ヴェブレンによって定礎された旧制度主義に極めて近い認識の構図を再評価することにつながることを明らかにした。 続く第2の作業では、現代の、特に1970年代後半以降の社会諸科学における制度理解を概観し、制度に関する代表的な2つの概念化-「制約あるいはルール」としての制度という見方と「文化的・認知的枠組み」としての制度という見方-を取り上げ、それぞれが制度の概念化として満足のいくものであるのかどうかを検討した。これらの議論を前提にして、再度、いかに制度にアプローチすべきかを考察した。特に、ここ10年余りの間に進められた注目すべき試み-青木昌彦の試みと新制度派におけるノース=デンザウの試みの2つ-を検討することから、これまで新制度派、旧制度派と呼ばれてきた2つの知的伝統はともに、いまや共通の概念的問題に直面しており、いくつかの場合には、同様の解決を志向しているというある種の収斂が見られることを明らかにした。
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