研究対象である「現代」の前史というべき第一次世界大戦直前の時期から考察を始め、その成果を勤務校の紀要に発表した。概要は下記の通り。 1.19世紀床以来、イランは財政悪化に苦しみ、外国からの借款に頼らざるを得ないという状態であった。イランをめぐる英露の角逐も、この借款問題を基軸として展開していった。 2.1907年に締結された英露協商は、イランのみならずアジア大陸西部における英露の勢力圏を定めたものであり、英露の角逐の一大転換点をなすものであった。そして、この戦略的枠組が、この時期以後のイランの借款問題をも大きく規定していく。 3.1910年頃からシティー(ロンドン金融市場)の金融商会(マーチャントバンカー)が対イラン借款に関心を示しはじめるが、英露協商の枠組を堅持しようとするイギリス外相グレイの介入によって実現せず、シティーの金融商会は今度はロシアと結びつくという新たな展開が現出することとなる。 4.石油開発や鉄道建設のプロジェクトも英露協商の枠組のなかで進められ、そしてここでも、英露の金融磯関が大きく関与していた。 5.第一次世界大戦直前には、イギリスはイランに、借款供与の対価として領土を渡すよう要求するにおよんだ。 6.このように、この時期のイラン史は金融の側面からその大きな枠組みを描くことができるものなのである。しかもこの場合、金融とは、シティーを頂点とした世界的規模での金融連関の中に位置づけられるものなのであった。すなわち、この時期のイラン史は、シティーを抜きにして語ることはできないのである。
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