本年度は第一次世界大戦期に焦点を絞り、考察を進めていった。概要は以下の通り。 1.第一次世界大戦勃発時、イラン北部は、戦前にすでに軍事侵入していたロシアによって実効支配されていた。たとえば北西部アーザルバーイジャーン州では、ロシアが地方行政官を任免し、警察を組織し、ロシア系銀行に税が納入されていた。また、ギーラーン州などへは、農民の組織的移民が行なわれた。 2.一方、南部へのイギリスの浸透には、軍事侵攻や植民はみられなかった。 3.中部の中心都市エスファハーンでは、イギリス、ロシアにドイツも加わって、権力抗争が繰り広げられていた。これは、現象的には「地元の元州知事(カージャール王族)と現州知事(バフティヤーリー)との権力抗争」であったが、彼らの背後には上記列強がついていた。すなわち、エスファハーンという局地に当時の「国際関係」が集約的に表現されていたのであった。そして、ここでもロシア系銀行が大きく関与していた。同行は、反州知事の武装行動を実行直前の段階にまで推し進め、また、元州知事の資産を管理することによって支配を拡張していった。また、ここには、アジア大陸西部におけるイギリス・ロシアの縄張りを取り決めた1907年英露協商の矛盾も集約されていた。その矛盾とは、第一に、イギリス権益の大部分が位置している西南部がイギリスの縄張りの外とされたこと、第二に、エスファハーンがイギリスの通商にとって重要な都市であるにもかかわらず、ロシアの縄張りに入ってしまったことである。 4.イラン・トルコにまたがるシーア派勢力の動向も、こうした、諸矛盾を反映し、複雑な様相を呈していた。
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