第1次世界大戦期、アラビア半島西部、紅海沿岸のヒジャーズ地方において国家形成の胎動が始まった。形成されようとしていた国家は、その資金的中核として銀行を必要としていた。そのような銀行として、当時すでに存在していた帝国オスマン銀行ジッダ代理店はふさわしくなかった。というのは、同行が多国籍的性格を有しており、世界戦争勃発によってアイデンティティーを引き裂かれていたからであった。このアイデンティティーの裂け目は、協商側と同盟側のあいだのみならず、イギリス・フランス間にも存在した。アラブ国家形成を側面から支えていたイギリスとしては、そのような銀行は「純粋にイギリスの銀行」でなければならなかった。「純粋にイギリスの銀行」にとっての敵は、敵国やフランスにとどまらなかった。無国籍的な世界金融も敵であった。イギリス側の史料における「望ましくない形態の世界市民的金融」という表現は実に鮮烈である。 「望ましくない形態の世界市民的金融」といえば、メッカ巡礼者がヒジャーズにもたらしたコインが輸入代金決済に用いられるというコインの流れも、これに含めてよいかもしれない。新銀行が設立される場合に予想される反対として、こうした物的基礎の上に生活が成立していた地元住民による反対が想定されえた。これまで、このような問題は、「伝統対近代」、「ヨーロッパ対非ヨーロッパ」といった観点から捉えられることがほとんどであったと思われる。だが、はたしてどうなのか。「無知蒙昧な前近代」、「資本の文明化作用の照射を受ける前の非ヨーロッパ世界」といった捉え方(だけ)で公正な世界認識が可能なのかどうか、あらためて考えてみる必要があるであろう。
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