この研究は、17世紀まで東アジアに比して劣位にあった西ヨーロッパの諸工業が、ほぼ1世紀後には東アジアのそれに追いつき、それを追い越していく過程と要因を、技術と生産の仕組みに焦点をあてて明らかにしたものである。 まず、それらの工業のなかでも、「ジャパン」を取り上げ、ヨーロッパの在来技術の水準、東洋からのインパクト、主要産地におけるその模倣、原材料の転換とそれによる東洋を越える水準の製品の実現、といった優劣逆転の一連の過程をたどった。東洋の漆は、その奥行きのある光沢と、熱や酸に対する強さを特徴としていたが、色が黒、赤、茶等に限られていた。それに対して、ヨーロッパで発達したジャパンは、その材料の性質から、色彩が自由となった。またヨーロッパでは、アスファルトを使うことによって、漆よりもさらに強靭なラッカーを得ることができた。ヨーロッパは、東洋の基準において、その品質と機能において東洋を越えた。 次いで、以上から得られた結論について、他のいくつかの主要な産業、木綿、捺染、絹、磁器とボーンチャイナについて検証し、ジャパンに見られた過程と要因とが一般的であったことを明らかにした。いずれにおいても、技術的に不可能であったことが、新素材への転換によって東洋並みの製品を作れるようになった。最後に、こうした競争優位の逆転が起こったメカニズムについて、「スミス的成長」と「マーシャルの地域」に関して論じ、いずれもそれだけではこの逆転を説明し得ないと結論づけた。逆転は、スミス的成長やマーシャルの地域の外部から、そこに投げ込まれた要因であった。 研究の結論は、18世紀の西ヨーロッパは、製造技術では東洋に対して劣位にありながら、東洋の製品以上の品質と機能を有する製品をつくれるようになったのは、原材料の素材を転換させたからであった、という点にある。
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