国際金本位制においては基軸通貨として機能していたポンドも、その後しだいに基軸通貨性を喪失してゆく。本研究は、この基軸通貨ポンドの衰退過程を、第二次大戦中から戦後までを対象に実証的に解明しようとしたものである。実証分析に際して重視したのは、まず、大蔵省の内部文書など一次資料を精査し、従来の研究が踏み込んでいない、当局の状況認識・政策構想を明らかにすること、そして、それらと実際に進行した事態との間の屈折した関連を析出すること、である。ポンド衰退過程の、言わば内面的な理解を試みたわけである。 具体的には、(1)第二次大戦勃発に伴う為替管理の開始、(2)大戦中のポンド残高膨張、(3)ブレトン・ウッズ会議への対応、(4)英米金融協定(1945年)、(5)ポンド交換性回復の挫折(47年)、(6)ポンド切下げ(49年)、の各事態を取り上げた。そして、当局が既に戦時中に戦後の国際収支が極めて苦しくなることを十分認識していたこと、その認識が戦後の国際通貨体制に関するイギリスの提案に反映していたこと、しかしアメリカに妥協せざるをえなくなり、「ホワイト案」が必ずしもイギリスにとって不利でないことを議会に理解させる必要が生じて対策に苦慮したこと、ポンド交換性回復に失敗した後には、かなり早い時点で切下げ準備が始まっていたこと、等々を明らかにすることができた。 そこで、そのような当局の認識と現実とを照合し、両者の相即あるいは齟齬を検出する作業に進んだが、その過程で、ポンド衰退の内面的理解を果たすには国際金融連関のみでなくイギリス国内経済の検討が必要であるという課題が浮上してきた。特に、ポンド衰退をシティが容認しうる状況としてのロンドンにおけるユーロ・ダラー市場の生成に注目する必要が出てきた。それ故、本研究の狙いを更に確実に達成するため、ポンド衰退と戦後イギリス経済の変化との関連も視野に入れて、研究を継続することにした。
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