地震対策としての保険の限界 将来の問題も含め、地震保険には根本的な限界がある。かりに地震保険に限度額いっぱいまで加入し、生命保険にも十二分に加入していたとしても、地震によって家族全員が死亡してしまえば、いくら地震保険金と生命保険金が支払われようと、事実上意味をなさない。現に、大震災発生後約5ヵ月経過した1995年6月時点で、保険金受取人である夫婦や家族がともに死亡していたり、遺族が生命保険加入の事実を知らないままでいたりしたのか、大震災の死者を対象にした死亡保険金のうち、当時の大手生命保険会社5杜(日本生命、第生命、住友生命、明治生命、朝日生命)だけで、少なく見積もっても20億円以上が未払いのままになっていた(『朝日新聞』(夕刊)1995年6月15日)。被災者にとっては金額のいかんを問わず、保険金が大きな意味を持つことはいうまでもないが、大災害直後に必要となるのは、資金よりもまず物資・サービスであり、設備・施設である。壊滅的打撃を受け、物資・サービス・設備・施設が欠乏しているところで、いかに金銭の支払い=保険金給付が契約通りになされたとしても、さしあたり実質的な意味はほとんど持ちえない。しかも現行の地震保険制度は、究極的には地震保険の契約者たる被災者にのみ保険金を給付する制度にすぎず、政府による再保険を通じて公的支援の手を差し伸べる仕組みであり、相対的に所得水準が高く、絶対的な保険料負担能力を有する人だけが、この制度を利用できる、という点において、ある種の社会的な不平等・不公平を生み出すことにもなっている。 古今東西を問わず、大災害や伝染病などで真っ先に被害を受けるのは一般に弱者である、といわれる。兵庫県南部地震でもその例に漏れず、神戸では、被害が「住民の年齢層が比較的低い新興住宅地よりも、高齢者の多い、木造の古い住宅密集地に集中した」といわれる。しかも被災した高齢者の中から自殺・心中をする人まで出ており、まことに痛ましい限りであった。高齢者のほかにも、年齢層でいえば幼児や児童、社会階層的に見ると中小企業というよりも零細企業の関係者など、どちらかといえば社会的に弱い立場に置かれている人びとが、物心両面で深刻な打撃を被った。
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