研究概要 |
生体分子の高次構造や分子認識においては、CH基とπ電子との極めて弱い引力的相互作用が重要な役割を果たしていることが、近年多く指摘されている。この相互作用を非常に弱い水素結合と見なすか、或いは分散力であるとするかを巡っては盛んに議論が行われており、相互作用の性質解明が待たれている。このような極めて弱い分子間相互作用の研究には、他の相互作用による摂動のない孤立気相クラスターが理想的な系であり、今回の研究では、クラスターに赤外分光法を適用することで、分子間相互作用の性質解明を試みた。 まず最初の試みとして、比較的酸性度が強く、強いCH基とπ電子との相互作用が期待できるアセチレンと芳香族分子との組み合わせによる二分子クラスターを対象に選び、アセチレンのCH伸縮振動のクラスター形成に伴う振動数変化を赤外分光法で観測した。ベンゼン-アセチレンはそのプロトタイプとなる系であり、アセチレンCH伸縮振動数の顕著な低下がベンゼンとのクラスター形成により観測された。,クラスター構造は、実測した赤外スペクトルと量子化学計算の対応から、ベンゼンのπ電子にアセチレンのCHが配位する形を取ることが分かり、CH-π相互作用の存在が確認された。ベンゼンに電子供与基であるメチル基を導入すると、メチル基の数に比例してCH-π相互作用の強度増大が見られた。一方、大きな分極率を持つ多環式芳香族とアセチレンのクラスターにおけるアセチレン側CH振動数を観測したが、環数の増大に伴いCH振動数シフトは減少し、分子間相互作用と分極率との相関は見られなかった。これらの結果から、アセチレンのCH基とπ電子との相互作用は静電力の寄与が大きく、通常の水素結合と同様の性格を持つものと結論した。 現在、アルカン類のCHとπ電子との相互作用を解明するため、メタンとベンゼン誘導体とのクラスターにおけるメタン側CH伸縮振動の観測を行っている。メタンはアセチレンと同様にπ電子にCH基を接したクラスターを形成するが、置換基導入による振動数変化は見られず、分散力的性質が強まっていることが示唆されている。
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