本年度は、今までの予備的解析結果を踏まえ、リベン遺跡出土のものを中心に、ヒトの未咬耗大臼歯標本167点について特に近心咬頭断面上とその近傍におけるエナメル質厚さについて詳細に検討し、ヒト大臼歯のエナメル質厚さに関する内外でも最も充実した基準データを作製した。得られた主な知見は以下の通りである。 1)計測位置が咬頭尖から離れると象牙境尖からの最短エナメル厚さ値が著しく過大評価されることが明らかとなった。咬合面のエナメル厚さについては、過大および過小評価の双方の推移があり、頬舌の厚さの差異など従来の機能的測度の変異が大きいことが判明した。これらとは対照的に歯冠側面の最大エナメル厚さは、部位ごとに比較的安定していることが分かった。 2)歯冠部位間のエナメル質厚さの差異は、頬舌方向に顕著であった。下顎臼歯では頬側で厚く、上顎臼歯では舌側で厚い傾向が示され、機能的な部位間変異と解釈できる。ただし、上下の第1大臼歯では近心頬側咬頭のエナメル質が特異的に薄く、機能的勾配が上顎では強調され、下顎では軽減される傾向が認められた。 3)第1から第3大臼歯のエナメル質厚さの比較では、後方に行くほど厚さが増すのではなく、第1大臼歯近心頬側咬頭の薄いエナメル質の影響により、特に第1大臼歯と第2・第3大臼歯との間に線計測厚さの相違が認められた。 4)第1大臼歯近心頬側咬頭の薄いエナメル質は機能的には説明できず、エナメル象牙境の尖度もしくはエナメル形成のタイミングと関連する可能性があり、エナメル質厚さには機能適応に基づく勾配と形成メカニズムに起因する制約の双方の要因の内在することが示唆された。
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