今年度は、炭素クラスターイオン衝撃による固体薄膜からの2次電子のカイネティック放出について理論的に調べた。2次電子収率の大部分を占めるのは約50eV以下の低エネルギー電子であるので、伝導電子の励起に限定して電子ガスモデルで扱った。この過程を、3つのプロセス、すなわち、入射イオンによる固体内部での電子励起、電子の表面までの伝播、表面ポテンシャルからの脱出、に分けて考察した。入射イオンがクラスターであることの特徴は、第一の過程で考慮され、その形状因子が電子ガスへの運動量移送の割合を特徴づける。第二の過程では、弾性的伝播と非弾性的伝播の2つの寄与があり、後者を連続減速近似で扱った。その結果、励起電子のエネルギーに依存した非弾性平均自由行程λ(E)と阻止能S(E)の2つの量が現れ、これらを誘電関数法で評価した。第三の過程では、表面での量子力学的な透過確率を用いた。最近、筑波大のグループによって、1原子あたり0.5MeVのC_n^+クラスターイオンを炭素薄膜(HOPG)に照射し、2次電子のエネルギー分布を測定した。その結果、イオン1個あたりのエネルギースペクトルにクラスター効果が現れた。われわれの計算結果はこれを支持した。また、2次電子の相対収量の粒子数依存性は、平均電荷およびクラスターのエネルギー損失と強い相関があることが判った。このほか、内殻電子の励起に関連して、イオン衝撃による標的原子の多重電離断面積を計算するために、「エネルギー移送モデルによる電離確率の公式」を開発した。この理論式は、新たなスケーリング則を満足し、その結果、衝突係数の関数としての電離確率は高電離イオン入射に対してもユニタリティーを満足することが判明した。独立電子モデルを併用した多重電離断面積の計算結果は、従来の理論モデルよりもよく実験データを説明できた。
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