研究課題/領域番号 |
14550636
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研究機関 | 京都工芸繊維大学 |
研究代表者 |
中川 理 京都工芸繊維大学, 工芸学部, 助教授 (60212081)
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研究分担者 |
矢ヶ崎 善太郎 京都工芸繊維大学, 工芸学部, 助教授 (90314301)
並木 誠士 京都工芸繊維大学, 工芸学部, 教授 (50211446)
石田 潤一郎 京都工芸繊維大学, 工芸学部, 教授 (80151372)
笠原 一人 京都工芸繊維大学, 工芸学部, 助手 (80303931)
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キーワード | 郊外 / 住宅 / 住宅地 / 画家 / 学者 |
研究概要 |
本研究の目的は、近代生活の前衛として郊外に着目した人々として、学術・芸術・芸能に関わる人々に着目し、京都における彼らの住宅地選択の動向を明らかにすることである。本年は、以下のような成果をあげることができた。 (1)京都市北区等持院かいわいの住宅地には画家を中心とした「絵描き村」と呼ばれる地区があることが史料などから明らかになった。そこには日本画家・木島桜谷邸(1913)や南画家・大橋廉堂邸(1937)などが残されており、こららの住宅遺構の実測調査・聞き取り調査を行った結果、木島邸の建設を契機として、さまざまな日本画流派の画家たちが、流派を超えて、大正から昭和初期にかけてこの地区に移住をしていったようすが明らかになった。また、彼らと建築家・本野精吾(大橋邸の設計も行っている)との交流も明らかになった。 (2)京都市左京区吉田および北白川地区には、京大教授を中心とした「学者村」とも言うべき地区が広がっていることが知られていたが、岩根友愛邸(あめりか屋設計・1926年)、汐見邸(藤井厚二設計・1932年)、小川邸(武田五一・1922年)、石崎邸(藤井厚二設計・1926年)など、これまで知られていなかった住宅遺構の調査を行い、その結果として、京大の中での学者と建築学科教授=建築家とのサロン的交流が明らかになってきた。 (3)戦前の京都で最も読まれていた新聞である『日出新聞』について、大正から昭和初期にかけての記事データベースを構築しつつあるが、その内容から、とりわけ芸術・芸能にかかわる人々の動向が明らかになりつつある。ただし、この分析は来年度以降に本格的に行う。
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