ドイツ人建築家の1930年代における建築活動を研究対象としたが、特に建築家ブルーノ・タウトがロシア時代(1932〜3年)に関与しながらも実現せず、透視図スケッチ等によってその設計内容がある程度確認できるモスクワにおける建築設計案について、当該敷地を現地調査し、また現地研究者から情報収集、関連する文献資料の収集を行った。 図面資料についてはオリジナルが失われ、二次資料からの形態分析に頼らざるを得なかったが、各設計案について、基本的なヴォリューム構成、周辺環境との関係に関しての都市空間デザイン、大壁面の分節と装飾を含む壁面構成等に関して分析した。その結果、タウトは非対称の機能主義的なデザイン方法を導入することを試みたが、ロシアにおける政情の変化に伴い、古典主義的な造形に復帰することを余儀なくされたことが明らかとなった。 著書およびその他の著述から建築論的記述の抽出とその分析を行った。その結果を、社会主義的な社会理念との関わり、および造形的な探求について分析し、前者については、表現主義的ユートピア社会論から、科学的社会主義への同調を経て、機能主義批判の段階へと経過したこと、また後者からは、ロシア的な固有性を探求しつつ、インターナショナル・スタイルの普遍主義を批判し、また社会主義リアリズムの非近代性を否定して、第三の道として、「釣合」の理論に到達したことを明らかとした。 これらから、ブルーノ・タウトが1930年代に日本において土着的な要素を評価し、また「釣合」概念を中心として一見古典主義的ながら、有機主義的な建築理論を構築したことは、ロシアにおける実験的な試みにおける経験が転機となっていたことを明らかにした。それは初期グローバル化の時代における独自の建築思想開拓の試みであったと、近代建築史上において評価することができた。
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