本研究は、市場交易に対応した在方町などの近世交易都市に対して、港町に代表される中世交易都市を管理交易に対応した都市として日本都市史上に位置付けるため、管理交易下に置かれた対外交易都市の空間と社会の存在形態を、発掘調査で具体像が明らかとなった中世の対外交易都市や管理交易を展開した近世の対外交易都市及び対外交渉都市の空間=社会構造の分析、市場交易に対応した交易都市との比較検討を通して解明し、いまだ不分明な中世都市像を把握するための新たな視点を構築しようとするものである。 本年度は、中世起源の対外交易都市として呼子・塩田を取り上げ、呼子については天保期の町絵図と明治期の地籍図、塩田については嘉永期及び慶応期の町絵図と明治期の地籍図を収集し、両時期の地割復原図を作成することによって、多元的権力下の中世に起源する港町の空間のあり方を把握するとともに、豊臣政権下における近世初頭の対外交渉都市として名護屋・伏見を取り上げ、収集した明治期の地籍図と近世の絵図史料、近年の発掘調査の成果に基づく都市復原図を作成することによって、これまで不分明であった一元的公権力下の豊臣政権下における対外交渉都市の空間構造を把握し、多元的権力下にある対外交易都市の港を核とした空間構造と一元的公権力下にある対外交渉都市の城を核とした空間構造の対比的あり方を把握した。 来年度は、年度末に調査を行った管理交易下における対外交易・交渉都市を代表する那覇を取り上げ、管理交易下における対外交易・交渉都市の空間と社会の県体像の把握に努めたい。
|