設定した研究課題がやや過大であったため取り纏めに時間を要し、研究期間中には平成16年度の建築史学会大会において「組積造におけるアーチ構造の起源に関する諸問題」と題する研究発表を行いえたのみで、学術論文や著書として公表するには至らなかった。最終的に研究成果報告書として纏めた内容は、以下の3章から構成される。 第1章 組積造におけるアーチ構造の起源と展開に関する諸問題 第2章 わが国における石造アーチ橋の成立と展開 第3章 わが国における石造建造物の系譜と種別 この研究において得られた成果の主要点を列記すれば、以下のとおりである。 1)遺構からみるかぎり、洋の東西を問わず人類はアーチという構造形式を墓室という地下空間を形づくる際に発明したとの仮説が導き出せること。 2)中国においては7世紀初めという極めて早い段階で、オープン・スパンドレルをもつ石造の弓形アーチ橋が成立していたが、これは半円形アーチ橋からの展開としては理解しえず、むしろ特殊な木製橋からの発展として整合的に説明しうること。 3)ヨーロッパのアーチ橋では近代まで石造に終始したとみなされがちだが、近世には特定の地域において煉瓦造によるものが成立していたこと。 4)わが国の石造アーチ橋では、15世紀の沖縄で中国からの技術伝来が想定されるのに対し、本土での創始である17世紀の長崎の眼鏡橋では平戸のオランダ商館建設を契機とした別ルートが推定されること。 5)わが国の近世以前には、単発的な石造建造物の試みはなされたが、それが技術的に定着することはなかったのに対し、近代以後には数系統の技術導入と展開過程が跡づけられることを究明した。
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