本研究では、アイヌ民族の建築文化、とりわけ住居(チセ)の成立過程を解明することを目的に研究を進めた。第一に研究史を整理すると、実証的な研究は1930年代以降に限られること、研究対象となった居住歴を持ったチセの建築年代も1900年前後が下限と考えられること、1900年代以前を対象とする研究は、部分的に絵画資料を対象とする研究があることなどから、研究には大きな空白期間があることが理解出来た。第二に空白領域の研究を進める資料として、近代以前に描かれた絵画資料に着目し、アイヌ民族の建築物を描く237点の図像を抽出した。さらにこの中から住居の図像を整理分析した。絵画資料から確認できる住居の形態や構造として、1)住居は必ずしも同一の形態ではなく、少なくとも大きく2種類の類型が確認出来ると同時に、それぞれの類型の中で建築方法の違いに由来すると考えられる違いがあること。2)屋根構造については、平扱首を基本とする扱首組構造がより多く確認できること。三脚構造が必ずしも代表的な構造とは言えないこと。3)平面形については、主屋は基本的にワンルームと考えられるが、平側に下屋を突出する例があること。セム(付属小屋)は主屋の妻側に設置するものが多いが、入口の向きや形態は一定しないことが確認できた。第三に、絵画資料の限界である18世紀中期以前の資料として、考古学による平地住居遺構の発掘報告に着目し、整理分析を行った。アイヌ文化期の平地住居遺構の発掘は1980年代以降に限られ、発掘された建築遺構として220件を抽出し、この内、炉(焼土)を確認出来る住居遺構62件を対象として整理分析を行った。平面形柱穴列の配置に着目して整理すると、比較的整形で柱穴配列が整った事例と、規則性が認められない事例の2群に大きく分類することが出来た。整形の事例については柱間数には規則性が見られ、一定の技術水準が確認出来た。付属屋(セム)の設置は、規模拡大の側面よりは、機能分化・附加と言った要素が大きいこと、セムは主屋に比べて仮設的であること、主屋の平面形の特徴として必ずしも矩形ではなく中央部分が膨らむものが多く小屋組構造との関連性が窺われることなど18世紀中期以前から擦文文化期以後の年代のアイヌ文化における住居の特徴を把握することが出来た。以上のように、本研究において、近代以前のアイヌ民族の建築文化とりわけ住居について、絵画資料、発掘住居遺構などの従来着目されていなかった資料を整理分析し、従来の空白領域について多くの成果を得ることが出来た。
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