本研究では、メクレンブルク・フォアポンメルン州を対象地域として、戦後の東ドイツにおける農業集団化過程の全体像を、村落構造の変化との関わりで実証的に明らかにすることを目的としている。 このうち今年度は、特に1950年代前半期を対象として、史料の収集と分析を行った。なお仮説的なものではあるが、現在ところえられた知見を述べれば以下の通りである。 1)1950年初期は、大農層の決定的縮小に見られるような大きな変化が旧農民集落についておきていること。 2)その契機は、すでに1952年3月の「荒廃経営」法を契機とした当局による旧農民経営接収であるが、しかし同時にこれに連動した農民自身の逃亡も初期の段階で起きていること。初期のLPG形成は、この接収された、ないしは逃亡した大農経営の処理問題を一つの重要な契機としていたことは明らかである。他方で、こうした動きに連動して、当局の意図に乗じた「村内アクティヴ」による<階級矛盾>を動員する活動があった可能性がある。 3)他方で、新農民による経営返却・経営放棄も深刻化していた。とくに東ドイツ都市部・および西ドイツヘの移動が-おそらく旧難民層を中心に-活発になるにつれて、その規模は全体の1割にも達するものだった。新農民の場合、農村流出は個人的な理由による者が多く、政治的な性格は明らかに弱い。これらの放棄経営は「地区農業経営」(実体的には村営農場)が管理するが、その後LPGフォンドに組み入れられていく。 4)このように50年代初期のLPGは、戦後期の新農民問題と旧農民問題の二つの問題の交差の上に形成されていく。その具体像をより明らかにしていくことが、来年度の課題である。
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