麻酔薬の分子レベルの現象に対する効果と、臨床で見られる効果の間には薬理学的な乖離がみられる。この乖離をどのように理解し、解析するかが麻酔作用機序解明において重要である。例えば分子レベルでの麻酔薬の濃度-反応曲線のHill係数1〜2程度であるにもかかわらず、生体としての反応を見た場合、はるかに大きなHill係数を示す協同性の高い反応として現れる。特に、生体の不動化を指標としたMACでは20-30の急峻な立ち上がりを示す。われわれは、神経ネットワークが急峻な濃度-反応曲線に関与していると考え、数理的なモデルとして多単位・多経路系(Multi-Unit and Multi-Path System : MUMPS)を提唱した。 このモデルの解析から、現在までに以下の事柄が判明した。 1)急峻な濃度-反応曲線が再現されるためには、多数の伝達単位(100以上)と多数の伝達経路(10^5以上)が関与する神経ネットワークが必要である。 2)伝達経路数は神経ネットワークお冗長性のパラメータ、伝達単位数は脆弱性のパラメータである。伝達単位に対する麻酔薬の作用強度(分子レベルの作用強度)とシステム全体に対する作用強度(臨床レベルの作用強度、例:MAC)の関係は、これらの2つのパラメータにより変化する。 3)吸入麻酔薬のMACは加齢により低下する。この変化はMUMPSでは伝達経路数(冗長性パラメータ)の減少によって説明される。これは、加齢によるニューロンやシナプスの減少に対応すると考えられる。 4)脳だけに吸入麻酔薬を投与したときはMACが上昇、脊椎以下にだけ投与したときにはMACが減少することが報告されている。MUMPSでは、脳だけの麻酔では脆弱性パラメータが減少し、脊椎以下の麻酔では脆弱性パラメータに加えて冗長性パラメータが減少することによって見かけ上の麻酔作用強度が変化したものと考えられる。
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