研究概要 |
本研究は、20世紀初頭のイギリスにおける学校体育制度の歴史的意義を明らかにすることを目的として研究に着手した。その際、先導的な都市部から徐々に体育授業実施が拡充していた状況が推移し、やがて政策主体としての教育院(Board of Education)が体育授業の必修を具体化する19世紀末から20世紀初頭に至るまでを研究の時代対象とした。具体的に14年度において、これまで研究対象とされなかったロンドンの救貧地区の児童の体育・スポーツ状況を明らかにした。そして、このことが20世紀初頭の初等教育における課外ゲーム活動の端緒、及び中等教育における課外ゲーム活動の進展につながることを歴史的文脈として吟味した。 Poor Law Schoolsの体育授業ではスウェーデン体操の実施も試みられており,課外ゲーム活動実施など一般の初等学校とは異なる状況がみられた。その際パブリック・スクールの関係者との接点も明らかになった。ロンドンでも特定の貧民地区にパブリック・スクールや大学のセツルメント(settlement)が設置されており,パブリック・スクールのゲーム活動がその地区の児童にまず浸透していく。このことは,パブリック・スクールのアスレティシズムが一般の学校へも浸透していく具体的事例でもある。そうした経緯の一端がPoor Law Schoolsでの体育・スポーツ事情に反映されていた。体育授業や課題ゲーム活動実施の政策策定は,一般の公立初等学校や公立中等学校では20世紀初頭に持ち越されることになる。14年度において,具体的に,1904年の身体退化に関する王立委員会及び20世紀初頭のChief Offical Officerの報告書を収集し,資料整理も行った。次年度は,それをもとに20世紀初頭の学校体育制度の内容と政策策定の経緯を吟味する。
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