研究概要 |
本研究は,20世紀初頭のイギリスにおける学校体育制度の歴史的意義を明らかにすることを目的として研究に着手した。その際,先導的な都市部から徐々に体育授業実施が拡充していた状況が推移し,やがて政策主体としての教育院(Board of Education)が体育授業の必修を具体化する19世紀末から20世紀初頭に至るまでを歴史研究の時代対象とした。 16年度は具体的に,1906年教育規則(the Code of Regulation,1906.)の課外ゲーム活動条項の内容と,学校体育への影響を明らかにすることでその歴史的重要性を検討した。条項の内容は,十分な監視や指導の下にある年長の児童が適切な組織的ゲームを当局(Board)の認可した取り決めの下で,学校時間中に占める一定の時間帯を出席時間(attendance)とみなしていた。そして,学校時間中に占める時間とみなすのは,週のうち早朝あるいは午後の一定時間に限られ,1時間30分以上あるいは,運動場へ行ったり,運動場から学校へ戻ったりするのにかかる時間を除いたとしても2時間の継続した一定の時間をその時間としていた。1906年教育規則の前書きには,前年規則との変更点が項目別に記載されていた。 教師のイニシャティブやボランティアで児童の課外ゲーム活動を実施していた19世紀末まで現状から,20世紀初頭において課外ゲーム活動を出席時間として認める施策へと転換した歴史的意味は,学校外部における児童の日常的な課外ゲーム活動を教育行政の傘下に組み入れることをも意味していた。1906年教育規則の課外ゲーム活動条項は,20世紀初頭の学校体育制度として,重要な内容を有していたといえる。
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