この研究は、高知新聞と高知県教育会発行の雑誌『高知教育』に掲載された運動具の広告の分析を通じて、大正期における高知県での運動具販売の活性化とスポーツの普及過程を明らかにした。高知県における運動具販売は1910年代後半に始まり、1920年代になって活性化した。広告を掲載した運動具販売業者は、この時期を見る限りにおいては、はじめは商店や教材販売会社であった。運動具の需要の高まりとともに運動具販売の専門業者の広告がそれらに取って代わっていった。その中には、他府県で生産された運動具や輸入品を販売するだけでなく、体操服を中心に自社製品を製作し販売する業者もあった。運動具販売の広告から、高知県では1910年代までは野球とテニスを中心にスポーツが実施されており、1920年頃から、陸上競技、水泳、卓球、サッカー、登山が普及し、1924年頃からはバレーボール、バスケットボール、インドアベースボールが加わっていったと考えられる。これらのスポーツは、学校、軍隊、官公庁、新聞社、病院などで実施されていた。 『高知教育』に広告が多いのはごく短い期間で、昭和初期になるとほとんど広告が見られなくなる。近代スポーツの普及期に、高知県では運動具販売店が販路の拡大を目指す活発な競争を展開し、昭和初期になって一定の顧客を獲得していたのではないかと推察される。 今後は、近代スポーツの第二の普及期と考えられる戦後復興期に、運動具販売店が地方のスポーツの活性化に果たした役割を、地方新聞や教育雑誌を手がかりに、聞き取り調査の結果を加えながら明らかにしていきたいと考えている。
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