本年度は、近世上野国、近江国彦根藩および筑後国柳河藩の武術流派を調査した。 (1)上野国と武蔵国の境界域での馬庭念流、真之真石川流、神武一刀流寄島派の確認。 (2)(1)地域のうち、上野国甘楽郡南部にあたる山中領(さんちゅうりょう)の総代名主黒澤堯夫家や、三波川村の大名主家飯塚馨家が馬庭念流門人家であったこと。家系は中世武士の系譜をもち、馬庭念流の援助者としての経済的基盤を充分に持っていたことを確認した。 (3)(1)地域で本来、武蔵国秩父郡に地盤のあった甲源一刀流が同居出来た理由として、とくに甲源一刀流強矢良輔が「天真」を流名に冠し「飯篠長威斎末流」という流系を示す「天真甲源一刀流」を名乗り、新当流から影響のあった馬庭念流と敵対せず関係を維持できた。 (4)(1)地域のとくに山中領は、峠越えや渡しなどにより、商業や婚姻(甲源一刀流宗家逸見家の例)等の人物往来があり、そこにこそ複数の武芸が共存した。 (5)滋賀県・彦根城博物館所蔵・佐藤与左衛門家文書「虎之巻・象之巻・龍之巻」(友松兵庫頭源氏明から元和元(1615)年伝授)によると近江国彦根藩の正法念流未来記兵法を確認できる。この流派は、馬庭念流樋口家に念流を伝授した友松偽庵氏宗の系譜であった。また氏宗は彦根藩井伊家家臣(元和九年『分限帳』に「友松兵庫 三百石」とある)であった。 (6)福岡県柳川古文書館に、立花家文書「家川念流太刀組目録」(宝暦6年1756年)をはじめ渡辺家文書、益子家文書に「家川念流免許、目録、印可状類」があり、「家川念流」が筑後国柳河藩に行われたことがわかる。また家川念流が馬庭念流の系譜にあることが確認された。 ☆以上(5)(6)は、今後の新たな課題となった。
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