平成14年度においては、サンフランシスコのジャパンタウン及びシアトルのチャイナタウンに関する現地調査・資料収集を行ない、前者に関しては1960年代からの都市再開発過程及び現状におけるエスニック営業施設・コミュニティ施設の構成を把握・検討し、さらに過去における施設構成を復原する基本資料として日系人住所録類を収集した。後者に関しては、適切な住所録類が存在しないので、シアトル市民住所録から姓によって中国系住民経営の施設を抽出する作業を行なった。 サンフランシスコのジャパンタウンにおいては、市の大規模なアーバンリニューアル計画のなかで日本町域の一部のクリアランスが強行され、ハワイの日系資本や日本資本(近鉄)の導入によって当初日本企業・日本文化のショールーム的性格を強くもったジャパン・センターが建設されたほか、引き続いて周辺の日本町域も再開発区域に組み込まれ日系エスニシティを重視した開発が進められた。こうした過程のなかで市再開発局の方針に反発する立ち退き反対同盟(CANE)とこれに協力する再開発推進派(NCDC)の対立が生まれ、さまざまな社会集団のせめぎあいのなかで再開発という都市過程が進行した状況が調査から浮かびあがった。また、今日のジャパンタウンにおいては韓国系施設の割合も増加しつつあり、新たな社会的対立が見られる。シアトルの過去の中国系施設については、大縮尺地図を基図に用いてマッピングを行ない、19世糸昧から20世紀初頭の最初のチャイナタウンの位置と状況を精密に明らかにし得たが、今日のチャイナタウンへの移行過程に関してはまだ今後の課題である。
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