平成16年度においては、サンフランシスコの日本町に関して14年度に引き続き現地における資料収集とインタビュー調査を行い、特に再開発公社の文書室において日本町再開発関係文書や関連新聞記事を収集した。また、シアトルにおいてはインターナショナル地区の営業施設について現地観察及び関係者へのインタビューを行い、初期チャイナタウンに関しては『ポーク社市民住所録1913年版、1916年版、及び1940年版』を使用して中国系営業を抽出するとともに、関連文献資料を収集した(8月12日-9月4日)。 その結果、サンフランシスコ・ジャパンタウンに関しては、再開発過程において立ち退き反対委員会や日系宗教連盟など抵抗アクターの活動が見られ、これが住宅機能の維持と日系コミュニティの存続に一定の役割を果たしたことが明らかとなった。また、シアトル初期チャイナタウンに関しては、1910年にはキング通りチャイナタウンへの移動がほとんど見られなかったが、1913年には多くの施設が移動し、新旧のチャイナタウンが競合する形となったことを明らかにした。 なお、平成16年7月3日-5日に行われた歴史地理学会(島根)においてシアトル初期チャイナタウンの構造と機能に関する考察を中間的に発表し、討論を得た。
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